ケンシートが亡くなった5時間ほど後に、同じように亡くなった赤ちゃんがいます。
感染していた栄養剤を使って、一晩で2人の赤ちゃんが亡くなったのです。
それはニュースになる前に、病院から私たちへ説明がありました。

フェリピートから「その赤ちゃんは生まれて次の日に亡くなったらしいから、お母さんは赤ちゃんに会えてないかもしれないね」と聞いた時は、私は泣きました。
そのお母さんは帝王切開をしたらしく、私は自分の帝王切開後を思い出し、どれだけ辛かっただろうか、想像もしたくありません。
病院へ入院中、あの壮絶な痛みに加えて、大きな悲しみにまで耐えないといけないと思うと地獄です。

ニュースで報道があった時、その赤ちゃんのお父さんはテレビに顔を出し、インタビューで答えていました。
悲しそうで、怒っているような、複雑な表情でした。
とっても冷静に話をしていました。
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私はずーっと「お母さんは赤ちゃんに会えていたのかな?」という事が気になっていました。
時間がたち、ふと冷静になった時に、自分の記憶をたどりました。
NICUにはたくさんの赤ちゃんがいて、毎日沢山のお父さんとお母さんとすれ違いました。

私は手術後の次の日に、歩くように言われたけど、歩けなかったので車椅子を使っていました。
私は入院中ずーっと車椅子を使っていたし、もろ病人の様な動きをしていました。
それなのに私以外のお母さんは、みんなピンピンしていました。
そこに車椅子の夫婦を1度だけ見た記憶がかすかにありました!
珍しい事だったので「私みたいな人がいる!」って思って見たのです。
それを思い出した時、「まさかこの車椅子の夫婦が亡くなった赤ちゃんの夫婦?」と思ったけど、インタビューのお父さんとはかなり違っていました。
「でも、体格と髪型は似ているかも。髭があるか無いかの違いか?」とか思いもしましたが。。。
私が1週間通ったNICUの、いつの時点で出会ったのかも覚えていません。

亡くなった2人の赤ちゃんから、同じ細菌が出てきた事が分かりましたという報告をするのに、被害者の親が裁判所に集められました。
その時に初めて、フェリピートはその赤ちゃんのお父さんと会い、話をしました。
そして私にその話をしてくれました。
「赤ちゃんのお父さんとお母さんは、NICUで僕たちに会った事を覚えとるんだって!手を洗うところで、出会って。。。。。。」
思い出しました!やっぱり私が覚えている唯一の車椅子の夫婦です。
私の記憶は廊下を通っている記憶でしたが、別の時間にも会っていました。
どんどん私の記憶が鮮明になってきて、お父さんとお母さんの嬉しそうな表情も思い出してきました。
そしたら、また涙が出てきました。
お母さんが赤ちゃんに会えていた事が分かり、良かったけれど。。。

とっても優しそうな、すてきな夫婦でした。
あのお父さんが息子を亡くし、インタビューで人が変わった様な表情になってしまい、私が思い出せないほど変わってしまっていました。
改めて、とても悲しい事が起こったのだと実感しました。